効率至上主義の時代に、私たちが「聴く力」を取り戻すべき4つの理由② 聞くことと祈り

2. :最高の注意を払うことは「祈り」と同じである哲学者シモーヌ・ヴェイユは、傾聴の本質について、私たちの背筋を正すような鋭い洞察を残しています。「最高レベルまで注意力を用いて聴くことは、祈りと同じようなものです。信仰と愛が、その前提条件になります。」

この「最高の注意力」は、データや数字を処理するような知的な理解とは決定的に異なります。例えば、庭を手入れするガーデナーの姿を思い浮かべてください。彼らは単に「植物を観察」しているのではありません。前屈みになり、五感を総動員して対象に向き合います。葉の色艶を見つめ、茂みが立てるさらさらという繊細な音に耳を澄ませ、土の香りを吸い込み、指先の感触で生命を確かめる――。

このような心身すべてを投げ出した姿勢こそが「観想(コンテンプレーション)」であり、祈りの本質です。税理士が計算のために心と体を切り離すような作業や、メディア・サーフィンで注意を散漫にさせる行為とは対極にあります。相手に最高の注意を向けるとき、私たちは自らを聖霊の働きに開き、信頼と愛という「危険なほどに純粋な領域」へと踏み込むのです。

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