あなたの一番暗いところに、もう|創世記をひらく⑥

連載「創世記をひらく」第6回 ―― 創世記1章2節「神の霊が、その水の面を動いていた」

前回、世界の始まりが「茫漠として何もなく、闇が大水を覆っていた」という、希望の見えない情景から描かれることを見ました。今回は、その同じ一文の、続きに立ち止まります。

「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。」

よく見ると、この一文には、三つの情景が並んでいます。茫漠とした地。闇。大水。―― 前の二つの主語は、どれも「生きていないもの」です。ところが、最後の最後に、はじめて「生きておられる方」が、主語として現れます。「神の霊が、動いていた」。

この「霊」という言葉は、もともとの言葉(ヘブル語のルーアッハ)では、「風」とも「息」とも訳せる言葉です。激しい風が闇の水の上を吹き渡るように、神の力が、もうすでに、そこに動いていた。

注目したいのは、その順序です。光が生まれるよりも前に。世界が整えられるよりも前に。すでに、神はそこにおられた。

私たちは、つい逆のことをします。「状況が良くなったら」「光が見えてきたら、信じよう」と。けれど聖書の順序は、反対です。闇のただ中で、もうすでに神が動いておられる、と信じる。光が差すのを待ってからではなく、まだ暗いうちに。

聖書の詩篇139篇で、ダビデという人がこう歌っています。たとえ「闇よ、私をおおってくれ」と願っても、神にとって闇は少しも暗くなく、夜も昼のように明るいのだ、と。

眠れない夜、暗い天井を見上げている時。どうにもならない問題の、ただ中にいる時。神は、まさにその、あなたの一番暗いところに、すでにおられます。逃げ出した先ではなく、その闇の中に、隠れるようにして、もう動いておられる。

あなたがその方を見つけるよりも、ずっと前から。

その神が、ついに、口を開かれます。闇に向かって、神が最初に語られた言葉を、次回ご一緒に。


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