連載「友と呼ばれて」第2回 ―― ルカ19章1〜4節「ザアカイ」
前回、人は「ひとりでいるのは良くない」存在として造られた、という話をしました。今回は、その「ひとりぼっち」を、誰よりも深く生きていた一人の男に会いに行きます。名前を、ザアカイといいます。
聖書はこう紹介します。「ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。」
取税人とは、占領していたローマ帝国に雇われて、同胞から税金を取り立てる人のこと。当時のユダヤ社会では、裏切り者の代表でした。しかもザアカイは、その元締め。町じゅうから嫌われていました。
彼は、なぜ取税人になったのでしょう。聖書は語りませんが、想像はできます。お金があれば、誰にも見下されない。地位があれば、後ろ盾になる。―― きっと彼は、お金で「自分の価値を認めさせたかった」のです。けれど結果は、逆でした。富は増えても、人は離れ、彼はますます孤独になった。「こんなつもりじゃなかったのにな」。そんな寂しさを、彼はどこかに抱えていたはずです。
ある日、ザアカイは、イエスという方が町を通る、という噂を聞きます。どういうわけか、彼は思いました。「会ってみたい」。よくは知らない。でも、この方なら、自分に何か新しい光をくれるかもしれない、と。
ところが、通りには人だかり。聖書はここで、小さな、しかし切ない一言を残します。「背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。」
この「群衆のために」は、原語ではただ視界がさえぎられた、という意味ではありません。「群衆の“ゆえに”」――つまり、人々が意図的に、彼を前に行かせなかった、ということなのです。「お前は仲間じゃない」。「仲間」という美しい言葉で、人は時に、こんなにも冷たい線を引きます。
それでもザアカイは、あきらめませんでした。先回りして、木に登ったのです。立場ある大人の男が、子どものように木によじ登る。当時、これは相当に恥ずかしい行為でした。それでも彼は、登った。―― お金でも地位でも満たせなかった渇きが、彼を、そうさせたのです。
木の上の彼に、このあと何が起きたか。次回、ご一緒に。
※この連載「友と呼ばれて」は、岩槻福音自由教会が月に一度ひらいている礼拝「キリストの友」をもとにした伝道エッセイです。もとになった説教は、教会のYouTubeチャンネルでもご覧いただけます。次回の礼拝の日程は、教会ホームページの集会案内でご覧いただけます。はじめての方も、どうぞお気軽に。
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