もう一度、光が差す|創世記をひらく④

連載「創世記をひらく」最終回 ―― 創世記1章4節/3章6節

ここまで、世界の始まりに「揺れない方」がおられること、そして、あなたが偶然ではなく、造られた一人であることを、見てきました。けれど、正直な問いが残ります。―― それなら、なぜ、この世界は、こんなにも壊れて見えるのでしょうか。

聖書の最初の章には、ふしぎな言葉がくり返されます。「神は、それを見て、良しとされた」。世界を造った神が、ご自分の造ったものを見つめて、「良い」とほほえむ。そういう場面です。

ところが、その少しあとの章で、よく似た言葉が、別の主語で現れます。最初の人間が、禁じられていた木の実を前にして、「見ると、それが良さそうに見えた」。原語では、神の「見て、良しとされた」と、ほとんど同じ形です。聖書は、これを、わざと重ねて書いています。

何かが、すり替わったのです。

「何が良いか」を決める方が、神から、人へと。私が良いと思うものを良いとし、私が要らないと思うものを切り捨てる。世界の中心に、神ではなく、自分を据える。―― 聖書が「罪」と呼ぶのは、まさに、このすり替えのことです。世界が壊れて見えるのは、ここから始まりました。

では、すり替わった目は、もう、元には戻らないのでしょうか。

聖書は、一人の方を指さします。人々から軽んじられ、見栄えもなく、十字架の上で捨てられた方。私たちの歪んだ目には、その姿の美しさが、分かりませんでした。けれど神は、その方を見て、こう言われました。「これは、わたしの愛する子。」

あなたが、まだ神に背を向けていたときに。何の役にも立てなかったときに。その方は、あなたの代わりに、その場所に立ってくださった。あなたの存在そのものを、もう一度「良い」と言うために。

暗い空に、光が差し込むように。

神の「良し」が、あなたのところに、もう一度、届こうとしています。

あなたの心に、今、その光は、届いているでしょうか。

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