連載「創世記をひらく」第5回 ―― 創世記1章2節「地は茫漠として何もなく」
これまで何回かに分けて、世界のいちばん始まりに「揺れない方」がおられること、そして、あなたが偶然の産物ではなく、心を込めて造られた一人であることを、ご一緒に見てきました。今回からは、もう少し正直な問いに、踏み込んでみたいと思います。―― それなら、なぜ私の毎日は、こんなにも手応えがないのでしょうか。
何をやっても、形にならない。働いても、片づけても、また同じところに戻ってくる。心の中に、何も育っていかない荒れ地のような時期が、人生にはあります。むなしさ、と呼んでもいいかもしれません。
おどろくことに、聖書は、世界の始まりを、まさにそういう一言から描き出します。
「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり……」
「茫漠(ぼうばく)」―― あまり聞きなれない言葉です。形がなく、何も生きられない、荒れ地のような状態を指します。
ここで一つ、誤解を解いておきたいことがあります。これは「混沌(カオス)」―― いったん秩序があったものが壊れて、ぐちゃぐちゃになった状態 ―― ではありません。聖書が言う「茫漠」は、崩れた後の混乱ではなく、まだ何も始まっていない静けさです。神の手が、これから触れようとしている、その前の世界。
闇が、大水を覆っていました。聖書の中で、闇も、大水も、人の手にはどうにもならない、希望の見えないものの象徴です。
けれど、見落としてはならない言葉があります。それが絶望的に見えたのは、あくまで「私たち人間にとっては」、ということです。地は、はじめ、人にとっては生きるのに絶望的な場所でした。―― でも、それは「終わってしまった場所」ではなく、「まだ始まっていない場所」だったのです。
あなたの心に広がる、その荒れ地も、もしかしたら、終わりではなく、まだ始まっていないだけなのかもしれません。
聖書は、この絶望的に見える一文を、絶望のまま終わらせませんでした。同じ一文の、最後の最後に、思いがけない言葉が続きます。それを、次回ご一緒に。
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