連載「創世記をひらく」第9回 ―― 創世記1章26〜27節「神のかたち」
これまで、世界の始まり――揺れない方がおられること、闇の中にもう神が動いていたこと、光と秩序が与えられたこと――を、ご一緒に見てきました。今回からは、その世界に置かれた「あなた」へと、目を向けます。
私たちの心の奥には、生まれつき、ある渇きがあるように思います。「本当の自分を、探している」という感覚です。今の自分を、どこか受け入れきれない。「何かが違う」「もっとこうあるべきなのに」。心の中に、追いかけている誰かの姿がぼんやり見える気がして、近づこうとする。けれど、届かない。「自分探し」という言葉が、これほど広く使われるのも、そのためでしょう。
聖書は、世界の創造の、いちばん最後の場面で、人間が造られたことを語ります。
「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」「神は人をご自身のかたちとして創造された。」
人は、「神のかたち」として造られた、と。古くから、人はこの言葉ゆえに「神の創造の冠」と呼ばれてきました。
「神のかたち」とは、姿かたちのことではありません。神は、目に見えない方ですから。それは、私たちの内側――理性、何かを生み出す創造する力、善悪を見分ける感覚、自分で選びとる自由、そして何より、誰かを愛する力。神がご自分に似せて、私たちに分け与えてくださった、目に見えない尊さのことです。
だとすれば、あの「自分探し」の渇き――追いかけても届かない理想の姿――は、いったい何なのでしょうか。
それは、ひょっとすると、私たちが「神のかたち」に造られたのに、その似せられた相手である神を、見失ってしまった、その空白なのかもしれません。自分が何に似せて造られたのかを忘れたまま、その姿だけを探し続けている。―― だとすれば、本当の自分にたどり着く道は、ひとつしかないことになります。
私たちが似せて造られた、その方を、知ること。
その方は、いったい、どんな方なのでしょうか。次回、ご一緒に。
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