連載「創世記をひらく」第10回 ―― 創世記2章7節「いのちの息」
前回、人は「神のかたち」に造られた、という話をしました。けれど聖書は同時に、まったく逆に見える、もう一つの事実も語ります。
「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」
人は、「ちり」から造られた、というのです。ちりとは、こわれやすく、限りある、土くれのこと。聖書は、人間の弱さを、隠しも飾りもしません。私たちは、弱い。傷つくし、間違えるし、つまずく。それを、人間らしさの一部として、ちゃんと認めています。
でも、それで終わりではありません。神は、その「ちり」に、ご自分の「いのちの息」を吹き込まれた。「息」という言葉は、もともと「霊」とも訳せる言葉です。つまり人は、ただの土くれでも、ただの生き物でもなく、神とつながって生きる、特別な存在として造られた、ということです。
ある人は、この場面を、こう描きました。神が、まるで口づけをするように、顔と顔を近づけて、ひとりの人に、愛といのちを吹き込まれた、と。―― それほど近く、それほど大切に。
ここに、人間の不思議があります。私たちは、弱い「ちり」でありながら、神の息を宿した、尊い存在。弱さと尊さが、同じ一人の中に、同居しているのです。
このことを忘れると、私たちは苦しくなります。「自分の価値は、自分で証明しなければ」「もっと役に立たなければ」。そうして、速すぎる社会の中で、終わりのない評価に応えようと走り続け、やがて疲れ果ててしまう。自分の弱さを、認められなくなる。
でも聖書は、まったく逆のことを言います。あなたは、初めから、価値がある。自分で自分の価値を、造り出さなくていい。―― あなたは「自分で生きている」のではなく、「生かされている」のだ、と。
その視点に立つとき、肩の荷が、ひとつ下ります。では、私たちはなぜ、これほど「価値を証明すること」に追い立てられるのでしょうか。次回、一冊の絵本とともに、ご一緒に。
オンラインでも、いつでもご覧いただけます
礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。
▶ YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc
岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
✉ iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net
