神が、いちばん最初にされたこと|創世記をひらく⑦

連載「創世記をひらく」第7回 ―― 創世記1章3節「神は仰せられた」

闇が覆う世界。そこに、もうすでに神がおられた。―― では、その神が、いちばん最初にされたことは、何だったでしょうか。

戦うことでも、打ち砕くことでも、何かを生み出すことでもありませんでした。

「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」

神がまずされたのは、「言う」ことでした。何もない、暗闇の世界に向かって、ただ、語られた。それだけで、光が生まれた。

おもしろいのは、この「言う」という言葉です。前に、世界を「創造する」という動詞は、神だけが主語になれる特別な言葉だ、とお話ししました。ところが、この「言う」のほうは、まったく逆で、私たちも毎日使う、ごくありふれた日常の言葉なのです。

呪文でも、魔術でもない。気合でもない。ただ、静かに語る。神は、その平凡なひとことで、闇に光を呼び出されました。

そして、その言葉は、独り言では終わりませんでした。創世記の最初の一章で、「神は言われた」という言葉は、くり返し現れ、やがて、造られた人間そのものに向かって語られていきます。神は、遠くから世界を動かす方ではなく、あなたと言葉を交わしたいと願っておられる方なのです。

だとすれば、私たちの一日も、何かを言い、何かをし始める前に、その声に耳を澄ますことから、始められるのかもしれません。

聖書は、ずっとのちのページで、この「光あれ」と言われた言葉について、もう一段深いことを告げます。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。……このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

あの日、闇に「光あれ」と語られた、その言葉ご自身が、やがて人となって、あなたの心の闇のただ中に、もう一度「光あれ」と語りかけている、というのです。

では、生まれたその光は、闇を消し去ってしまうのでしょうか。神は、闇をどうされたのか。いよいよ最終回で、ご一緒に。


オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

7月1日(水)は祈り会です。

7月1日(水)は祈り会です。
聖書をともに開き、ともに祈るひとときです。どなたでもお越しください。

日時:2026年7月1日(水)
 昼の部 10時30分〜
 夜の部 19時15分〜
聖書箇所:創世記 1章9〜13節
メッセージ:「住まいを整える神」(第3日)
担当:伊藤太郎牧師

祈り会について

水曜祈り会では、現在 創世記の連続講解 を行っています。天地創造の最初の一節から、聖書を一節ずつ丁寧に読み進め、そこから祈りへと続いていきます。

毎週同じ場所からの続きですが、その回ごとに完結したメッセージになっていますので、はじめて来られる方もご安心ください。聖書はこちらでご用意します。

今回のポイント

第三日、神は水を一か所に集められ、乾いた地を現わされました。それから、その地に向かって命じられます。
「地は植物を生えさせよ。」

ここで聖書は、神が一方的に命を「置く」のではなく、地そのものを通して命を生えさせる、という働き方を描きます。
そして与えられる植物は三つに分けられます ―― 草、種を結ぶ草、実を結ぶ木。やがてそのすべてが 食べ物として人と生き物に委ねられる ことになります(1:29)。

神は単に世界を造られるだけでなく、住まいを整え、食卓を備えてくださる方 です。
今日の私たちの食事も、健やかさも、生活の場も ―― すべてその延長線にあります。日常の備えの中に働かれる神を覚え、ともに感謝と祈りをささげます。

はじめての方へ

祈り会は1時間30分ほどです。聖書を声を合わせて読み、聖書から短いお話を聞き、参加者で祈りを分かち合います。
はじめての方は、お祈りを順番に求められることはありません。安心してご参加ください。

オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

あなたの一番暗いところに、もう|創世記をひらく⑥

連載「創世記をひらく」第6回 ―― 創世記1章2節「神の霊が、その水の面を動いていた」

前回、世界の始まりが「茫漠として何もなく、闇が大水を覆っていた」という、希望の見えない情景から描かれることを見ました。今回は、その同じ一文の、続きに立ち止まります。

「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。」

よく見ると、この一文には、三つの情景が並んでいます。茫漠とした地。闇。大水。―― 前の二つの主語は、どれも「生きていないもの」です。ところが、最後の最後に、はじめて「生きておられる方」が、主語として現れます。「神の霊が、動いていた」。

この「霊」という言葉は、もともとの言葉(ヘブル語のルーアッハ)では、「風」とも「息」とも訳せる言葉です。激しい風が闇の水の上を吹き渡るように、神の力が、もうすでに、そこに動いていた。

注目したいのは、その順序です。光が生まれるよりも前に。世界が整えられるよりも前に。すでに、神はそこにおられた。

私たちは、つい逆のことをします。「状況が良くなったら」「光が見えてきたら、信じよう」と。けれど聖書の順序は、反対です。闇のただ中で、もうすでに神が動いておられる、と信じる。光が差すのを待ってからではなく、まだ暗いうちに。

聖書の詩篇139篇で、ダビデという人がこう歌っています。たとえ「闇よ、私をおおってくれ」と願っても、神にとって闇は少しも暗くなく、夜も昼のように明るいのだ、と。

眠れない夜、暗い天井を見上げている時。どうにもならない問題の、ただ中にいる時。神は、まさにその、あなたの一番暗いところに、すでにおられます。逃げ出した先ではなく、その闇の中に、隠れるようにして、もう動いておられる。

あなたがその方を見つけるよりも、ずっと前から。

その神が、ついに、口を開かれます。闇に向かって、神が最初に語られた言葉を、次回ご一緒に。


オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

何をしても、形にならないと感じる時に|創世記をひらく⑤

連載「創世記をひらく」第5回 ―― 創世記1章2節「地は茫漠として何もなく」

これまで何回かに分けて、世界のいちばん始まりに「揺れない方」がおられること、そして、あなたが偶然の産物ではなく、心を込めて造られた一人であることを、ご一緒に見てきました。今回からは、もう少し正直な問いに、踏み込んでみたいと思います。―― それなら、なぜ私の毎日は、こんなにも手応えがないのでしょうか。

何をやっても、形にならない。働いても、片づけても、また同じところに戻ってくる。心の中に、何も育っていかない荒れ地のような時期が、人生にはあります。むなしさ、と呼んでもいいかもしれません。

おどろくことに、聖書は、世界の始まりを、まさにそういう一言から描き出します。

「地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり……」

「茫漠(ぼうばく)」―― あまり聞きなれない言葉です。形がなく、何も生きられない、荒れ地のような状態を指します。

ここで一つ、誤解を解いておきたいことがあります。これは「混沌(カオス)」―― いったん秩序があったものが壊れて、ぐちゃぐちゃになった状態 ―― ではありません。聖書が言う「茫漠」は、崩れた後の混乱ではなく、まだ何も始まっていない静けさです。神の手が、これから触れようとしている、その前の世界。

闇が、大水を覆っていました。聖書の中で、闇も、大水も、人の手にはどうにもならない、希望の見えないものの象徴です。

けれど、見落としてはならない言葉があります。それが絶望的に見えたのは、あくまで「私たち人間にとっては」、ということです。地は、はじめ、人にとっては生きるのに絶望的な場所でした。―― でも、それは「終わってしまった場所」ではなく、「まだ始まっていない場所」だったのです。

あなたの心に広がる、その荒れ地も、もしかしたら、終わりではなく、まだ始まっていないだけなのかもしれません。

聖書は、この絶望的に見える一文を、絶望のまま終わらせませんでした。同じ一文の、最後の最後に、思いがけない言葉が続きます。それを、次回ご一緒に。


オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

もう一度、光が差す|創世記をひらく④

連載「創世記をひらく」最終回 ―― 創世記1章4節/3章6節

ここまで、世界の始まりに「揺れない方」がおられること、そして、あなたが偶然ではなく、造られた一人であることを、見てきました。けれど、正直な問いが残ります。―― それなら、なぜ、この世界は、こんなにも壊れて見えるのでしょうか。

聖書の最初の章には、ふしぎな言葉がくり返されます。「神は、それを見て、良しとされた」。世界を造った神が、ご自分の造ったものを見つめて、「良い」とほほえむ。そういう場面です。

ところが、その少しあとの章で、よく似た言葉が、別の主語で現れます。最初の人間が、禁じられていた木の実を前にして、「見ると、それが良さそうに見えた」。原語では、神の「見て、良しとされた」と、ほとんど同じ形です。聖書は、これを、わざと重ねて書いています。

何かが、すり替わったのです。

「何が良いか」を決める方が、神から、人へと。私が良いと思うものを良いとし、私が要らないと思うものを切り捨てる。世界の中心に、神ではなく、自分を据える。―― 聖書が「罪」と呼ぶのは、まさに、このすり替えのことです。世界が壊れて見えるのは、ここから始まりました。

では、すり替わった目は、もう、元には戻らないのでしょうか。

聖書は、一人の方を指さします。人々から軽んじられ、見栄えもなく、十字架の上で捨てられた方。私たちの歪んだ目には、その姿の美しさが、分かりませんでした。けれど神は、その方を見て、こう言われました。「これは、わたしの愛する子。」

あなたが、まだ神に背を向けていたときに。何の役にも立てなかったときに。その方は、あなたの代わりに、その場所に立ってくださった。あなたの存在そのものを、もう一度「良い」と言うために。

暗い空に、光が差し込むように。

神の「良し」が、あなたのところに、もう一度、届こうとしています。

あなたの心に、今、その光は、届いているでしょうか。

もし、この続きを、誰かと静かに話してみたいと思われたら ―― 岩槻福音自由教会の戸は、いつでも開いています。日曜の礼拝にも、平日のバイブルカフェにも、どうぞ気軽にお越しください。


オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

6月28日(日)は日曜礼拝です。

6月28日(日)は日曜礼拝です。
はじめての方も、ひさしぶりの方も、どうぞお気軽にお越しください。

日時:2026年6月28日(日)10時30分〜11時45分
メッセージ:「クリスチャンの実践と奉仕」
聖書箇所:マタイの福音書 23章1〜12節
説教者:伊藤太郎牧師

今回の聖書箇所について

マタイ23章は、イエスが宗教指導者たち ―― 律法学者やパリサイ人たち ―― に対して、厳しい言葉を語られる場面から始まります。

彼らは聖書を熱心に学び、礼拝に欠かさず出席し、外側の宗教的な行いを誰よりも真面目に実践していました。
けれどイエスは弟子たちに、「彼らの言うことには従いなさい。けれど、彼らの行いをまねてはならない」 と告げられます。

なぜでしょうか。
それは、彼らの宗教生活が 「人に見られるため」 のものに変わっていたからでした。重い律法の荷を人々に課しながら、自分は指一本動かそうとしない ―― そういう姿を、イエスは深く悲しまれます。

そしてイエスは弟子たちに、まったく逆の道を示されます。
「あなたがたの中で偉くなりたい人は、あなたがたに仕える者になりなさい。」

信仰の本質、奉仕の本質、そしてキリストに従う者の生き方とはどんなものか。
教会に長く集っている方にも、はじめて教会を訪ねる方にも、深く問いかける言葉です。ともに聞きたいと思います。

はじめての方へ

キリスト教や聖書について何も知らなくても大丈夫です。
聖書や讃美歌は、こちらでご用意します。服装も普段着で構いません。
礼拝は1時間ほどで、賛美(歌)・聖書朗読・説教・お祈りで構成されています。

教会学校(こども向けの集まり)は9時00分から、日曜礼拝は10時30分から始まります。
ご家族・お子さん連れでもお越しいただけます。

オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

あなたは、偶然ではない|創世記をひらく③

連載「創世記をひらく」第3回 ―― 創世記1章1節「創造した」

「はじめに、神が、天と地を、創造した。」

この「創造した」という言葉は、聖書の中で、少し特別な使われ方をしています。原語(ヘブル語で「バーラー」)でこの動詞は、いつも神だけが主語になる。人が何かを「作る」ときには、別の言葉が使われます。神が世界を生み出すこの行為は、人間のものづくりとは、比べものにならない ―― そういう特別な一語なのです。

おもしろいのは、聖書が「何から」造ったかを、語らないことです。土からとも、火からとも言わない。語られているのは、ただ「誰が」造ったか。ある人は、その神を「偉大な芸術家」にたとえました。材料にも、道具にも、誰の指図にもよらず、ただご自身の思いのままに、自由に、世界を描き出した方。

そしてその芸術家は、細部の手を抜きませんでした。スペインのサグラダ・ファミリアを建てた職人たちは、見えない場所の彫刻一つにも妥協しないといいます。「神は、蔦の葉一枚さえ、手を抜いて造られないのだから」と。

その同じ手が、あなたを造ったのだ、と聖書は言います。

あなたの顔も、性格も、得意なことも、不得意なことも。自分では好きになれない部分さえ。神は、あなたを造るときに、手を抜かなかった。あなたは、たまたま生まれてしまった偶然の産物ではなく、心を込めて生み出された、一つの作品なのだ、と。

「神に、失敗作は一つもない。」

そして、もう一つ。この方は、あなたという作品を、もう完成したとは思っていません。むしろ、今も、造り続けておられる。「あなたのうちに良い働きを始められた方は、それを最後まで仕上げてくださる」と、聖書は約束します。

あなたは、偶然ではない。

そして、まだ、途中です。

このことを、次回はもう少し深く ―― 世界がなぜ、こんなにも壊れて見えるのか、という問いとともに、ご一緒に。


オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

自分の物語の、主人公でいることに疲れていないか|創世記をひらく②

連載「創世記をひらく」第2回 ―― 創世記1章1節「神が」

前回、聖書のいちばん最初の一文に、「始まりのない方」がおられることを見ました。今回は、その続きの一語に、立ち止まります。「はじめに、神が」。

私たちは、いつのまにか「自分の人生の主人公は、自分だ」と思って生きています。自分の力でここまで来た。自分の選択で道を切りひらいてきた。―― それは、ある意味では、本当のことです。

でも、その「自分が主人公」の物語は、けっこう、疲れるものではないでしょうか。

すべてを自分で背負わなければならない。失敗すれば、自分の責任。先が見えなければ、自分でなんとかするしかない。気づけば、肩に力が入りっぱなしで、夜になっても、緊張がほどけない。自分が物語の主人公だということは、自分がすべての重荷を負う、ということでもあるからです。

聖書は、ずっと昔から、静かに問いかけてきます。

「それは、あなたから始まったのだろうか」と。

この世界は、あなたから始まったのではない。あなたの人生さえ、あなたから始まったのではない。はじめに、神が、この世界を造り、そして、あなたをも造られた。―― もしそうなら、あなたは、物語の「主人公」ではなく、もっと大きな物語に「招かれた一人」なのかもしれません。

それは、自分が脇役に格下げされる、という話ではありません。むしろ逆です。重すぎる主役の荷を、いったん下ろしていい、ということです。すべてを自分で背負わなくていい。あなたより先におられた方が、その物語を、引き受けていてくださる。

肩の力を抜いて、こうつぶやいてみる。「はじめに、神が」。

すると、今日という一日が、自分の手柄でも、自分の責任だけでもない、贈られた一日として、見えてきます。

あなたは今、どれだけの重荷を、一人で背負っているでしょうか。

その荷を、少し下ろしてみたいと思われたら ―― 次回も、ご一緒に。


オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

6月24日(水)は証会(あかしかい)です。

6月24日(水)の祈り会は 証会(あかしかい) です。
毎月最後の水曜祈り会は、聖書からのメッセージではなく、信徒の方々の「あかし」を聞き合うひとときとしています。

日時:2026年6月24日(水)
 昼の部 10時30分〜
 夜の部 19時15分〜
形式:証会(あかしかい)

証会(あかしかい)とは

「あかし」とは、信仰の中で経験した神様の働き ―― 助け、導き、慰め、励まし、答えられた祈り、人生の出来事の中で感じたみ手 ―― を、自分のことばで語り、聞き合うことです。

毎月最後の水曜祈り会は、説教ではなく、こうした一人ひとりの生きた信仰の経験を分かち合い、ともに感謝と祈りをささげる時としています。

はじめての方へ

はじめての方は、ただ聞きに来ていただくだけで構いません。話すことを求められることはありませんので、安心してお越しください。
聖書はこちらでご用意します。

信徒の生きたあかしを聞くことは、聖書のメッセージを通してとは少し違ったかたちで、信仰の姿が伝わってくる時間です。どなたでも歓迎します。

オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net

6月21日(日)は種まき礼拝です。

6月21日(日)は 種まき礼拝 です。
キリスト教にはじめてふれる方、聖書ってどんな本だろうと思っている方、ご家族・お友だちにも、ぜひお声かけください。

日時:2026年6月21日(日)10時30分〜11時45分
メッセージ:「満ち溢れる恵み」 エペソ1章3〜14節
説教者:伊藤太郎牧師

「種まき礼拝」とは

月に1回、キリスト教にはじめてふれる方を中心にお話しする、入門メッセージの礼拝です。
聖書や教会の用語に慣れていない方でも、わかりやすく、生活の中に響くかたちで福音をお伝えしています。

ここまで 「初めて聖書を開く人のための12ステップ」(羽鳥純二著)を土台に、聖書のメッセージを一つひとつ辿ってきました。今回はその第21回。シリーズの一区切りとなる、特に大切な回です。

今回のテーマ

「キリストを信じるとは、どんな祝福を受け取ることなのか」
キリスト教の信仰は、ただ「正しいことを信じる」という頭の話ではありません。日々の生活の中に、満ち溢れるほどの神の恵みが流れ込み、私たちの内側を新しく作り変えていく ―― そういう、生きた経験の話です。

「自分にもそんな恵みがあるのだろうか」「もし神様がおられるなら、自分の人生にどんなふうに関わってくださるのか」
そう問いながら生きている方、ここで一緒に聖書を開いてみませんか。

はじめての方へ

聖書も讃美歌も、こちらでご用意します。服装も普段着で構いません。
礼拝は1時間30分ほどです。お子さん連れの方も大歓迎です。

教会学校(こども向けの集まり)は9時00分から、日曜礼拝は10時30分から始まります。

オンラインでも、いつでもご覧いただけます

礼拝の様子や過去の説教は YouTube で配信しています。教会の日常は Instagram でもお伝えしています。お気軽にフォロー・ご視聴ください。

YouTube:岩槻福音自由教会 公式チャンネル
📷 Instagram:@iwatsuki_efc


岩槻福音自由教会
〒339-0067 さいたま市岩槻区西町3-5-27
☎ 048-758-6164
iwatsuki.efc@gmail.com
🌐 https://iwatsukiefc.net